画面の外からの音:映画のオフスクリーンサウンドが観客の感情を設計する仕組み
映画の画面の外にある「音」の力
映画は視覚芸術と呼ばれますが、その体験は視覚だけで成り立っているわけではありません。私たちはスクリーンに映し出される映像を通して物語を追いますが、同時に耳にする音も、私たちの感情や心理に深く作用しています。そして、その音の中には、画面の中に音源が見えている音だけでなく、画面には映っていない「画面の外」から聞こえてくる音があります。
このような、画面の外に音源がある、あるいは音源が映し出されていない音を「オフスクリーンサウンド」と呼びます。一見、画面に映っていない音は重要ではないように思えるかもしれませんが、実はこのオフスクリーンサウンドこそが、観客の感情や想像力を巧みに刺激する強力なツールなのです。
オフスクリーンサウンドとは?
映画における音は、大きく分けて2種類に分類できます。一つは、画面の中に音源が見えている音、例えばキャラクターの台詞や、画面内の物から発せられる音などです。これを「オンリーンサウンド」と呼びます。
もう一つが、今回の主題である「オフスクリーンサウンド」です。これは、画面には音源が映っていませんが、物語世界に存在し、そこから聞こえてくる音です。例えば、画面の端から聞こえる足音、遠くで鳴るサイレン、隣室からの話し声などがこれにあたります。これらは単なる背景音ではなく、意図的に配置され、観客の感情や心理に影響を与えるように設計されています。
オフスクリーンサウンドが感情に与える影響
オフスクリーンサウンドは、さまざまな感情や心理状態を観客の中に作り出します。
まず、最も効果的に用いられるのが、恐怖や不安の感情です。画面に見えない脅威の音――例えば、暗闇からの足音、壁の向こうのうめき声、不気味な物音などは、私たちの想像力を刺激し、見えないものへの恐怖を増幅させます。画面に直接映し出すよりも、音だけで存在を示唆する方が、観客は自分自身の最も恐れるものを想像しやすくなるため、より個人的で根源的な恐怖を感じやすいのです。有名な例としては、『JAWS/ジョーズ』で、サメの姿が見えないにも関わらず、ジョン・ウィリアムズの不穏な音楽と、水の揺れや不気味な効果音によって見えない脅威の存在が強く示唆され、観客は絶えず不安に駆り立てられました。
次に、空間の広がりや世界の存在を示唆する効果があります。画面は限定された視界しか提供しませんが、オフスクリーンサウンドは、そのフレームの外にも世界が広がっていることを観客に伝えます。遠くの街の喧騒、風の音、鳥の声、画面に映っていない大群衆の声などは、限定された画面の中の出来事が、より大きな世界の一部であることを感じさせ、物語に奥行きとリアリティを与えます。
さらに、期待や緊張感を生み出すこともできます。ドアがゆっくりと開く音、電話のベル、画面に映っていないキャラクターが近づいてくる足音などは、次に何が起こるのかという期待感や緊張感を高めます。特に、重要な出来事が起こる直前に静寂の中に響くオフスクリーンサウンドは、その後の展開へのサスペンスを効果的に煽ります。
また、オフスクリーンサウンドは、キャラクターの存在や状態を示唆するためにも使われます。画面に映っていない人物の咳き込む音、話し声、泣き声などは、その人物が近くにいることや、その時の感情状態を観客に伝えます。これにより、画面内のキャラクターの反応に深みを与えたり、観客に特定のキャラクターへの共感を促したりすることができます。
具体的な映画の例から学ぶ
ホラー映画やスリラー映画は、オフスクリーンサウンドの効果を最大限に利用するジャンルです。 例えば、『エイリアン』シリーズでは、船内の不気味な静寂の中に響く金属音やうめき声、換気ダクトを通る音などが、画面に映らないクリーチャーの接近を示唆し、観客の心に絶え間ない不安と緊張をもたらします。何がどこにいるのか分からない、という状況を音だけで作り出すことで、視覚的な恐怖以上に強烈な心理的圧迫感を与えるのです。
また、社会派ドラマなどでもオフスクリーンサウンドは効果的に使われます。例えば、主人公が貧困にあえぐ場面で、画面外から聞こえる楽しげな子供の声や遠くの祭り囃子などは、主人公の孤独や悲惨さをより際立たせ、観客に深い共感を呼び起こす可能性があります。
西部劇や戦争映画における画面外からの銃声や爆発音は、戦闘の広がりや激しさを表現し、観客をその場に引き込むのに役立ちます。単に画面内の出来事を見るだけでなく、聞こえてくる音によって、その世界の脅威や規模を体感するのです。
これらの例が示すように、オフスクリーンサウンドは単なる背景音ではなく、物語の一部として、そして観客の感情を揺さぶるための重要な要素として、意図的に設計され、配置されています。
サウンドデザインの意図を読み解く
オフスクリーンサウンドの効果は、サウンドデザイナーやミキサーによって精密に計算されています。どの音を、どのタイミングで、どのくらいの音量で、どの方向から聞こえさせるか、といった要素は、観客に特定の感情を抱かせるために慎重に調整されています。例えば、恐怖を煽る音は突然大きくしたり、徐々に近づいてくるように変化させたりすることで、その効果を高めます。空間の広がりを示す音は、遠くで鳴っているように、また自然に響くように調整されます。
これらの技術的な選択の裏には、「この音によって観客に何を感じてほしいか」という明確な意図が存在します。
今後の映画鑑賞のために
映画のオフスクリーンサウンドに意識を向けることは、映画をより深く理解し、楽しむための新しい視点を提供してくれます。次に映画をご覧になる際には、画面に映っていない場所から聞こえてくる音に耳を澄ましてみてください。その音が、物語にどのような情報を加え、あなたの感情や心理にどのように作用しているのかを感じ取ろうとしてみてください。
画面の外の音は、しばしば見過ごされがちですが、そこには作り手たちの繊細な意図が込められており、私たちの感情を設計する上で非常に重要な役割を果たしています。オフスクリーンサウンドの存在に気づき、それを意識することで、映画鑑賞体験はさらに豊かになることでしょう。