画面を「追う」カメラが感情を設計する仕組み:トラッキングショットとフォローショットが観客の心理に与える影響
映画を見ているとき、カメラがまるで登場人物の後ろをついていくように動いたり、並走したりするシーンに出会ったことがあるかもしれません。これは「トラッキングショット」や「フォローショット」と呼ばれるカメラワークの一種です。単に被写体をフレーム内に収めるだけでなく、これらのカメラの動きは、観客の感情や心理に深く働きかける力を持っています。今回は、画面を「追う」カメラがどのように私たちの心を揺さぶるのか、その仕組みを具体例を交えてご紹介いたします。
トラッキングショットとフォローショットとは
まず、これらの技術について簡単に説明します。
- トラッキングショット (Tracking Shot): カメラをドリー(移動台車)に乗せたり、レールの上を移動させたり、スタビライザー(例:ステディカム)を使ったりして、被写体や背景に対して滑らかにカメラ全体を移動させる撮影技法です。横方向、縦方向、奥行き方向など、様々な方向に動きます。
- フォローショット (Follow Shot): トラッキングショットの一種で、特に動いている被写体(人や乗り物など)を追跡するようにカメラが移動するショットを指します。被写体の動きに合わせてカメラも動くことで、被写体を画面の中心に捉え続けることが目的の一つですが、それ以上の効果を生み出します。
どちらもカメラが動くことで画面内の情報が変化し続けるため、観客の視覚的な注意を引きつけ、動きそのものが感情的な意味合いを持つことがあります。
なぜ「追う」カメラの動きが感情に影響するのか
カメラが被写体を「追う」動きは、観客をその被写体と一緒に移動させるような感覚を生み出します。これにより、以下のような感情的な効果が期待できます。
- 一体感と没入感: カメラが登場人物の後ろや隣を移動することで、観客はまるで自分がその場にいて、登場人物と一緒に歩いたり走ったりしているかのような感覚を覚えます。これにより、物語への没入感が高まり、登場人物の体験をよりリアルに感じやすくなります。
- 共感と親近感: 特定の人物をフォローし続けることで、観客はその人物の置かれた状況や心情に寄り添いやすくなります。カメラが物理的な距離を保ちながら追跡することで、観客は観察者であると同時に、その人物の人生の旅を共に歩む同行者のような心理状態になり得ます。
- 緊迫感とサスペンス: 追跡される人物をフォローするショットは、観客に緊張感や不安感を与えます。何者かに追われている、危険が迫っている、という状況をカメラの動き自体が示唆するからです。また、特定の人物を追いかけるショットは、その人物の目的や意図への関心を高め、次に何が起こるのかというサスペンスを生み出します。
- 空間認識と開放感/閉塞感: カメラが広大な空間を横断するように動けば、観客は広がりや自由を感じ、開放的な気分になることがあります。逆に、狭い空間をキャラクターの後についていくような動きは、閉塞感や逃げ場のない感覚を強調することがあります。
具体的な映画シーンに見る感情効果
これらの効果をより深く理解するために、いくつかの映画作品の例を見てみましょう。
- 『シャイニング』(1980): スタンリー・キューブリック監督のこの作品には、少年ダニーがホテル内の廊下を三輪車で進む有名なシーンがあります。ステディカムを使ったこのフォローショットは、ダニーの視点に近い低いアングルから、曲がりくねった長い廊下を滑らかに追いかけていきます。この滑らかな動きと、不気味な静けさ、そして閉鎖的な空間が組み合わさることで、観客はダニーと一緒にホテル内を探索しているような一体感を得ると同時に、得体の知れない恐怖や不安感、そしてホテルという空間からの逃れられない閉塞感を強く感じ取ります。
- 『グッドフェローズ』(1990): マーティン・スコセッシ監督によるこのギャング映画には、主人公ヘンリーがコパカバーナのナイトクラブに恋人を連れて入る非常に長いトラッキングショットがあります。裏口から入り、通路を通り抜け、キッチンを横切り、最終的にテーブルに案内されるまで、カメラはヘンリーを追います。この一連の動きは、ヘンリーがこの世界では特別な存在であり、何でも思い通りになるような力を誇示しているかのように見せます。観客は彼と一緒に特別な場所に入り込む体験をすることで、ヘンリーの持つ権力や魅力に引き込まれ、一時的に彼の視点から世界を見るような高揚感や一体感を味わいます。
- 『レヴェナント: 蘇えりし者』(2015): アレハンドロ・G・イニャリトゥ監督のこの作品では、主人公ヒュー・グラスの過酷な旅を描くために、広大で厳しい自然環境の中を移動するトラッキングショットが多く用いられています。カメラがグラスを追いながら、雪山や森の壮大な風景を捉えることで、観客はその過酷な環境のリアリティと広がりを感じます。これは単なる壮大さだけでなく、自然の脅威の中でいかに人間が無力であるか、そしてグラスの旅がいかに長く困難であるかを示唆し、観客に彼の孤独や不屈の精神に対する感情的な共感を呼び起こします。
これらの例のように、トラッキングショットやフォローショットは、単に被写体を画面に収めるだけでなく、観客を物語世界へ引き込み、登場人物との一体感を生み出し、あるいは特定の感情(緊張、不安、高揚、共感など)を意図的に作り出す強力な技術です。
映画鑑賞をより深く楽しむために
今後映画をご覧になる際には、カメラがどのように動いているかに少し注目してみてください。特に、特定の人物を追いかけているシーンでは、なぜカメラがそのように動いているのか、その動きが自分自身の感情にどのように影響しているのかを考えてみると、映画の表現の奥深さをより感じられるはずです。
「追う」カメラの動きは、監督や撮影監督が観客に特定の感情を体験させるために設計した、巧妙な技術の一つなのです。この視点を持つことで、あなたの映画鑑賞体験はさらに豊かなものになるでしょう。